I've got A New Way of Walking, Talking , Attitude, JESUS is Taking me Higher.
                  

CIASIAでは1月1日から3日までルアン&デイル・マスト師の聖会が持たれました。1日目はルアン師の死人をよみがえらせる(ルアン師自身が最近何人もの死人に祈って死んだものがよみがえった)油注ぎの分与の按手が会衆に何度も何度も受けることができ素晴らしい恵を受け取ることができた。その晩に自分の左手首が一月以上痛みがあり取れなかったので自分で癒しの祈りをしたところすぐに手首の痛みから解放されたのは油注ぎの按手の成果だと思わされた。

 さて2日目の午後のセッションでは日本のリバイバルのための聖会が持たれ恵の座に会衆が集まり賛美と祈りの時がもたれた。CIASIAの牧師マイクがギターを持って天から御使いが使わされるように賛美しはじめた瞬間から霊的なシフトを私は感じ、主の臨在を感じ始めた。同じくしてレイチェル師が預言しはじめ「あなた方の手に器がありそこに油そそぎが溢れる」と宣言し始めた。掲げた両手に主の力が注がれるのを感じしばらくして手を見てみるとうっすらと油がにじみ始めているように見えた。手の汗のように見えたが良く見ると汗ではなく油がにじんでいた。こんなことは初めての経験でビデオ等では見たことがあったけれども自分に起きるとは何と幸いなことか。集会後に手を洗った後も油がにじんでくる。昨年の聖会では金粉が手に現れたけれども今日は手から油が浮き出てきた。その中にはうっすらと金粉も混じっていた。このことは油そそぎが与えられた印として私は受け取った。帰りの車でもなんとなく手が油っぽいのである。ちょうど手にハンドクリームを塗った後のようで手のひら全体が脂分を含んでいるようなのだ。

(金粉、宝石、油等の現われについては様々な意見があるのは承知していますが、しるし、不思議があることも聖書は語っているのも事実です。)

(下の写真、よく見えないかもしれませんが手のひら全体に油がにじんでいる)



家に帰宅後も寝るときも同じで次の日も手の油はそこにある。忙しさの中に掃除をしていなかったので掃除機をかけ始めると手が滑る。掃除と油注ぎとは関係ないだろうと言われれば何とも答えようがないけれども。
石鹸で良く手を洗っても何か手がべたつく感じが残るので普通ではない。その晩も一つのチャレンジがあった。就寝前に息子がノドが痛いのでインフルエンザだと話してきた時に私自身ノドに違和感を覚えたのである。恐れと実際に感じる感覚から影響を受けたのはまぎれもない。息子のために祈り自分のためにも癒しの祈りを行ったが違和感は続いていた。聖会のメッセージのテーマは、リバイバルの時に主と同意していない部分をチェックするということであった。私たちは、現状や感覚に同意しやすいものですが主と同意することを選ばなくてはならないことを学んでいたので、こういう状態であればうがいをして寝るのが通常だが主の力を信じて眠りについた。聖会で与えられたメッセージにどんな状況にあってもイエスキリストとの強い契約の中にあるということを信じなさいというものでわたしの心に強く刻まれた言葉を信じた。次の朝はのどの痛みは全くなく爽快な気分で目覚めることができた。 

ハーベストタウンチャーチ 牧師 加島千秋