I've got A New Way of Walking, Talking , Attitude, JESUS is Taking me Higher. |
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| 「神の畑、神の建物」 第一コリント3:9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。 3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。 3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、 3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。 3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。 3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。 3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。 今日の祈祷会で話したメッセージは第一コリント3章から神の協力者としての神の畑、神の建物についてでした。 それは私たち自身の建物です。 先日のことですが「天国は本当にある」という本を読みました。チェナムという女性が主に選ばれて何度も天国に連れて行かれ、天国の住人や裁きを待つ人々、再臨や終末の光景を見せられます。その中で主によって天国にはチェナムの家が準備されておりその邸宅の素晴らしさに感動するのです。しかし一方では、「私の子供たちは私を迎える準備ができていない」と主が嘆かれているのが印象に残りました。この本は是非皆さんが読むべきだと思います。 私たちは主が聖書の中で天の御国について何と語られているかをもう一度よく読む必要があると思わされました。クリスチャンだから大丈夫だと思っていても本当に主の御心を知り主の御心を行っていなければ私たちは天の御国に入れないかもしれないのです。 主が語られた天の御国の種まきの例えは私たちの畑という心についての話です。現在の自分の畑がどうなっているかを見ることができたならばどうでしょうか。雑草が生え放題ではないでしょうか?豊かな実を結んでいる畑でしょうか。石がまだゴロゴロとないでしょうか。 また、主が語られた賢い人の建てた家の例えも天の御国です。今、自分の家という御霊の神殿はどの程度建っているのでしょうか。道すがらみた住宅地の光景に土台と柱だけの廃墟のような家がありました。この持ち主はどうしてしまったのだろうかと思わされました。天国の柱は、信仰、希望、愛で建てられ十分な補強がなされているはず。ドアがつけられるとドアは誰に対しても開かれ受け入れることのできるドアだろうか。主や人々を喜んで向かえもてなすことができるだろうか。その自分の家を見ることができたならどこまで完成しているだろうか。畑には豊かな甘いが実っているだろうか。すっぱかったり苦かったりしないだろうか。管理は十分だろうか。 漠然とした将来の天国ではなく自分自身の天国は、今生かされている地上の自分自身の主に対する姿勢であり従順なのだと考えさせられました。地上の私は天の家、天の畑を反映するものなのです。自分自身の畑、家をよく監督し、完成を目指さなくては。 ハーベストタウンチャーチ 牧師 加島千秋 |