I've got A New Way of Walking, Talking , Attitude, JESUS is Taking me Higher. |
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| 真実と平和の裁きを行え このメッセージはMP3で聞けます。 ゼカリヤ8:10 その日以前は、人がかせいでも報酬がなく、家畜がかせいでも報酬がなかった。出て行く者にも、帰って来る者にも、敵がいるために平安はなかった。わたしがすべての人を互いに争わせたからだ。11 しかし、今は、わたしはこの民の残りの者に対して、先の日のようではない。「「万軍の主の御告げ。「「 12 それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露を降らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを継がせよう。13 ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいとなったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出せ。」14 万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたの先祖がわたしを怒らせたとき、わたしはあなたがたにわざわいを下そうと考えた。「「万軍の主は仰せられる。「「そしてわたしは思い直さなかった。 15 しかし、このごろ、わたしはエルサレムとユダの家とに幸いを下そうと考えている。恐れるな。16 これがあなたがたのしなければならないことだ。互いに真実を語り、あなたがたの町囲みのうちで、真実と平和のさばきを行なえ。17 互いに心の中で悪を計るな。偽りの誓いを愛するな。これらはみな、わたしが憎むからだ。「「主の御告げ。「「」 神の国を受け入れ私たちがその中に留まるために必要な御言葉です。季節が変わり、神はわざわいではなく幸いがもたらされようとしているからです。 何故神の民にその労働に対して報酬がなかったのか?それは敵がいるために平安がなく、全ての人が互いに争ったからでした。しかし、今、神は幸いを与え祝福をもたらそうとされるというのです。そのためには、あなた方は「 これがあなたがたのしなければならないことだ。互いに真実を語り、あなたがたの町囲みのうちで、真実と平和のさばきを行なえ。17 互いに心の中で悪を計るな。偽りの誓いを愛するな。これらはみな、わたしが憎むからだ。」と主が命じられていることに注目しなければなりません。 正しい裁きとは誰かを罪に定めるためではなく、よりしっかりとした土台をすえるためにある聖めだということです。この正しい裁きは生死を分ける分岐点になり、間違った裁きは死にいたり、正しい裁きは命にいたるのです。主の例えで毒麦がクリスチャンの心に敵によってまかれる話がありますがその毒麦は毒麦とはっきりと分かるまではほっておかれます。 ヘブル12:15 「そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、」とあります。心のうちに敵が毒麦を蒔き人をお互いに争わせるので平安はなく報酬もない状態が続きました。 私たちは平和の種を蒔くものであり毒麦を蒔くものとなってはなりません。 互いに真実を語り平和の裁きが行われる前は、ちょうど律法の専門家であるサウロがことごとくクリスチャンを捕まえて迫害したような裁きが行われていました。彼は正しく裁いていると思っていたのですが、ダマスコの途上で主の栄光に目が見えなくなり本当は平和の裁きを行うことのできない盲目のものであることを知らせれます。しかし、自分が主を迫害していたことを教えられ、アナニヤによって祈りを受けると目からうろこのようなものが落ちてサウロの目が開けて目が見えるようになりました。その後サウロは平和の裁きを行う者と変えられます。聖書は先ず肉のものがきて次に御霊のものが来ることを教えています。先ず肉は死ななければなりません。その後に御霊のものがくるのです。アブラハムに約束の子が与えられたのも彼の肉が死んでからでした。 私自身1999年に教会で起きたことを思い起こします。その時には御霊の注ぎがあり人々は教会に導かれ救われ癒しが起こされていました。リバイバルの始まりのようでした。しかししばらくすると教会の中に批判、不満などが出てきててその火は消えてしまいました。主が幸いを下されるときに教会の全てのクリスチャンが互いに真実を語り平和の裁きを行えという命令を行っていたらと思わされています。何かの不満はその人のうちで毒麦として成長していきます。苦い芽はやがて人々を悩ますものとなり、また主の恵みからも落とされてしまいます。人の弱点や気に入らない事柄が心のうちに芽を出してきたのならば私たちは決して正しい裁きを行っていると考えてはなりません。ガラテヤの手紙は私たちが何を蒔くべきかを教えています。肉を蒔けば滅びを刈り取るようになり、御霊から蒔けば命を刈り取るようにないます。 ガラテヤ5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 ガラテヤ6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。 8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。 9 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。 10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。 箴言4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 4:24 偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。 4:25 あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。 4:26 あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。 4:27 右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。 先ず肉が死に、次に御霊のものが来るのです。肉は死ななければなりません。何を蒔くかは私たちに委ねられています。私たちは神の国に生きるものとして何を蒔いているでしょうか?私たちは主の命じられた「真実と平和の裁きを行え」という御言葉を心の土台としてすえていきましょう。神の国は近づいたのですから。 ハーベストタウンチャーチ 牧師 加島千秋 |