I've got A New Way of Walking, Talking , Attitude, JESUS is Taking me Higher.
                  
 神の国を求めて

ローマ14:17 神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びである。18 こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。19 こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。

 休日に休んでいた時のことです。私の心の中に「神の国は平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」という言葉が出てきました。特に神の国は「平和をつくる」という言葉が印象に残りました。平和は平和をつくる人によるのだ。私の心の中で最も関心のあるもの、それは「神の国」ですが、今私は、神の国を求めるものとしてこの平和をつくり出しているだろうかと考えさせられたのです。

 実はアルバイト先の職場でおきているある事柄のことを考えていたのです。それは職場の新しく入られた年配者の失敗や仕事ぶりに対して一人のリーダーがその人を強く叱責し罵倒しているということを聞いたからなのです。いろいろな職場においてそのような問題を見聞きして来ましたが、うまく仕事に適応できない人に対する馬鹿にした思い、正しいアドバイスではない憤りによる罵倒など等は職場において珍しいものではないでしょう。そこには、怒り、批判、恐れ、失望、落胆などがもたらされ、人々は仕事の意欲を失い義務的な労働環境の世界が構築されています。
 
私はその問題のリーダーについて考えていたのですが、実は同じような思いが自分のうちにもあることに気づかされたのです。うまく仕事に適応できない人に対する見下した思いが私の中に存在していたのです。高慢な心、年配の体が思うように動かない人が生活のために馬鹿にされながらも懸命に仕事をしているのにもかかわらず自分は仕事ができるという高ぶりでした。親切にはしていても心の内側では何かが違っていました。

「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」マタイ5:9ですが、自分はクリスチャンで神の子供ではあるけれども積極的には平和を作り出してはいない子供ではないか。神の国を追い求めているといいながら平和を作り出していないのであれば、神が私に神の国を見せて与えようとしているのに、その本人が神の国の中心である平和をつくりだすものでのないならばどうして神が私に神の国を任せることができるだろうか。
もし職場で地域で学校で、平和をつくりだすものが立ち上がるならば聖霊様はその人と共に働かれるでしょう。裁きではなく赦しを、怒りではなく寛容を、高慢ではなくへりくだりを主がこの世に蒔かれたように私たちも立ち上がるときが来ているのです。不義ではなく義をもたらし、悪霊の門を退け、病を癒し、赦しを宣言し、神の国の平和をこの地にもたらす者として、さあ、平和をつくりだしましょう。

ローマ 16: 20 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。ローマ 14: 17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
ローマ 14: 19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
ローマ 15: 13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
ローマ 15: 33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。
ヤコブ3:18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。

                                    ハーベストタウンチャーチ
                                牧師 加島千秋