I've got A New Way of Walking, Talking , Attitude, JESUS is Taking me Higher. |
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| 聖なるシフトの時 前回のメッセージで次のことをお話しました。 カデシュとは聖という意味の場所でモーセは神の言葉をそのまま信じないで今まで慣れ親しんできた彼の信仰の応用と行動で水を出してしまいました。それ故に神はモーセが言葉で命じて岩から水を出させるのではなく岩を討つことによって水を出したことに対して「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。」と言われたのです。約束の地に入りそこを占領するためには更なる信仰のシフトが求められていたからです。 このシフトの時に4つのことが起こされた。 1 ヨシュア記1:9ここでヨシュアは強く、動じず、恐れない心が求められた。 2 ヨシュア記5:2 心の割礼が必要だった。主の前に静まるとき 3 ヨシュア記5:15 主の軍の将の現われ 聖なる場所に立つことが求められる。 4 ヨシュア記6:2−5エリコを奪う戦略 陥落〔かんらく〕 敵の支配を奪い取る ここでは1と3についてお話します。 1、神は約束の地を勝ち取るリーダーヨシュアに恐れないことと心配しないことを求められている。 恐れというのは奴隷の霊です。ローマ8:15には人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊と記されています。恐れと不安は悪魔の武器ですが、神は私たちに用意し与えてくださった霊はもっと強力なものでした。 2テモテ1:7には「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」とあります。神の聖徒である戦士はおくびょうではないのです。私たちははっきりと自分たちのうちには神の霊が与えられており、それは力と愛と慎みとの霊であることを強く自覚すべきなのです。もし私たちが恐れず心配しないならば私たちは大胆に神が所有せよという地に出て行きその地を勝ち取ることができるのです。 3、主の軍の将が現われヨシュアに靴を脱ぐように求められました。何故ならば、ここは聖なる場所であるからという理由でした。聖という言葉は清いという意味がありますが完全に分かつという意味があります。前回のメッセージで次のことをお話しましたが、カデシュとは聖〔分かつ〕という意味の場所でモーセは神の命令の言葉をそのまま実行しないで今まで慣れ親しんできた彼の信仰の応用と行動で水を出してしまいました。それ故に神はモーセがただ言葉で命じて岩から水を出させるのではなく岩を討つことによって水を出したことに対して「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。」と言われたのです。約束の地に入りそこを占領するためには更なる信仰のシフトが求められていたからです。モーセからヨシュアへのリーダーのシフトがあったときに主はヨシュアに対して今までにない方法で主に従い約束の地を勝ち取ることを求められました。ヨシュアは彼が導かれた地は聖であると主の軍の将に言われます。私は主の軍の将が現われたその場所そのものが聖い場所であるというよりは、ヨシュアがこれから主の軍の将とともに戦う場所においては古い信仰の方法ではなく主が命じられる新しい方法に完全に聞き従うことによってその場所が聖〔古いものから新しい信仰に分かつ場所〕であることを覚えなければならなかったのだと信じます。ですから主はヨシュアに対して要塞都市エリコを人間的な戦略ではなく歩いて回り時の声を上げるという神の命令を通して勝ち取るのだと言われたのです。私たちは今霊的なシフトを求められているのです。私たちが霊的なシフトに応答していくときに神は人間的には不可能に近い大きな勝利をお与えになるのです。 ハーベストタウンチャーチ 牧師 加島千秋 |