I've got A New Way of Walking, Talking , Attitude, JESUS is Taking me Higher. |
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| 主のみ心を知り進むために必要なシフト 今の私たちに必要なことは、主の御心を知り、自分自身の心を知ることです。しかし私たちの心が鈍く閉ざされている常態ではいくら主が語ってくださってもその御心を知ることができません。しかし、私たちが主のみ心を知り主がなされることに対して心が開かれていくならば私たちは更なる信仰の領域へと進むことができるのです。 イエス様は段階的に弟子達に語られ訓練をされてきました。5000人以上の飢えかわいた人々に食べ物をお与えになりましが、その後に弟子達だけを船に載せも向こう岸へ向かわせました。しかし途中風に翻弄され弟子達は信仰を失い主の御心を悟れず恐れおののくばかりでした。 何故ならば、「マルコ6:52 というのは、彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである。」という状態にあったからです。主は弟子達の信仰に今まで以上の信仰のシフトを求められていたのですが彼らの心が開いていなかったためにただ驚くばかりだったのです。 このことは車のギアチェンジに例えることができます。 現代はエコノミーな時代ですが、今の車は200kmに近いスピードで走ることができるようになりました。しかしすぐに最高速度を出せるわけではなく、車には一定の大きさの歯車がいくつかついていて段階的に適切なギアが選択されスピードが上げられていくのです。スタートするための0から60kmまでのギア、次に100kmまでのギア、150kmまでのギア、そして180km、200kmという具合です。 止まった常態から200kmにつかうギアでは発進することはできません。各スピードにあった適切なギアが選択されなければなりません。この適切なギアの選択がなされることによって車は早くスムーズに最高速に達することができるのです。 同じように神の国の弟子と成ったものたちは、それぞれが信仰というギアをシフトさせ(神を信じる)ることによって更なる前進をすることができるのです。 つまりこのシフトは、私たちが神の思いを知ることと、自分自身の心を知ることによってスムーズなシフトが成されていくのです。しかしながら私たちの心が鈍くなっていると(頑なになっていると)神の御心も自分の心も正しく知ることもできなくなってしまい信仰のシフトは難しくなってしまうのです。 私たちの心を硬くさせることを探り、頑なではなく柔らかい心で主のご計画の中を進むために御言葉が何といっているかを見てみましょう。 ルカ21:34「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。 ルカ24:25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、 ローマ1:21なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。 詩篇95:8メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。 エペソ4:18彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。 ヘブル3:8荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。 ヘブル3:13「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。 ヘブル3:15「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。 ヘブル4:7神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。 さて、私たちはイスラエルの民が荒野で心を頑なにしたために大きな損失を受けたことから学びたいと思います。 主がイスラエルの民を荒野に導かれたのは民の心にある事柄を知るためであったと聖書は証言しています。 出エジプト17:7それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名づけた。それは、イスラエル人が争ったからであり、また彼らが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか。」と言って、主を試みたからである。 詩篇78:18 彼らは欲するままに食べ物を求め、心のうちで神を試みた。 78:19 そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。「神は荒野の中で食事を備えることができようか。 78:20 確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。だが、神は、パンをも与えることができようか。ご自分の民に肉を備えることができようか。」 78:21 それゆえ、主は、これを聞いて激しく怒られた。火はヤコブに向かって燃え上がり、怒りもまた、イスラエルに向かって立ち上った。 78:22 これは、彼らが神を信ぜず、御救いに信頼しなかったからである。 78:23 しかし神は、上の雲に命じて天の戸を開き、 78:24 食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた。 78:25 それで人々は御使いのパンを食べた。神は飽きるほど食物を送られた。 さらに民数記を見てみるとモーセが何故約束の地に上れなかったかを見ることができます。モーセは不信仰な民の言葉と態度に苛立ち失望したのです。そのために信仰の指導者モーセはここで神の御心を知ることができず神がモーセに求めておられた信仰のシフトをすることができなくなってしまったのです。 民数記20:1 イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒野に着いた。そこで民はカデシュにとどまった。ミリヤムはそこで死んで葬られた。 20:2 ところが会衆のためには水がなかったので、彼らは集まってモーセとアロンとに逆らった。 20:3 民はモーセと争って言った。「ああ、私たちの兄弟たちが主の前で死んだとき、私たちも死んでいたのなら。 20:4 なぜ、あなたがたは主の集会をこの荒野に引き入れて、私たちと、私たちの家畜をここで死なせようとするのか。 20:5 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、この悪い所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」 20:6 モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入口に行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現われた。 20:7 主はモーセに告げて仰せられた。 20:8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」 20:9 そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、主の前から杖を取った。 20:10 そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」 20:11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。 20:12 しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」 20:13 これがメリバの水、イスラエル人が主と争ったことによるもので、主がこれによってご自身を、聖なる者として示されたのである。 カデシュとは聖という意味の場所でモーセは神の言葉を信じないで今まで慣れ親しんできた彼の信仰の応用と行動で水を出してしまいました。それ故に神はモーセが言葉で命じて岩から水を出させるのではなく岩を討つことによって水を出したことに対して「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。」と言われたのです。約束の地に入りそこを占領するためには更なる信仰のシフトが求められていたからです。頑なな心は私たちのすぐそばにあります。しかし柔らかな心をとおして私たちは主の御心を知り主が求められている信仰の行動をシフトしていくことができるのです。 主を賛美し、喜び祝う。全てのことに感謝し、主を証し、礼拝するときに私たちの心は開かれやわらくされ主のみ心を知る扉が開かれていくのです。 ハーベストタウンチャーチ 牧師 加島千秋 |