I've got A New Way of Walking, Talking , Attitude, JESUS is Taking me Higher.
                  
 今がよみがえりの時    ヨハネ11章30−43   今週はファイル容量の都合でMP3メッセージはお休みです。

ここは、よくご存知のラザロの復活について記されている聖書箇所です。
先週は神は時と季節を変えられることをお話ししましたが、今日のイースターの日に私たちは今が、変革、シフトの時であることを悟りましょう。

マリヤとマルタの姉妹の兄弟ラザロは重い病気でしたので彼らはイエス様に来て頂いて直していただこうとしましたが何故かイエス様はすぐに駆けつけずラザロが亡くなってから彼らの家に行ったのです。イエス様が家に近づくと、マルタが「主よもしあなたがここにいてくださったなら私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言いました。するとイエス様は、「あなたの兄弟はよみがえります。」と言われました。マルタはよみがえりについて信仰があったので「終わりの日のよみえりの時には死んだラザロはよみがえると知っていますと答えました。しかし、主イエス様はこのときに「あなたの兄弟ラザロは今よみがえりますよ」と言われていたのです。何故ならば主イエス様こそよみがえりの君であり命の君であるからです。そしてマリやもイエス様のところに来て「主よもしあなたがここにいてくださったなら私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言いました。イエス様はここで霊の憤りを感じて「彼をどこに置きましたか」と聞かれました。そばにいたユダヤ人は「盲人の目をあけたこの方が、あの人をしなせないでおくことはできなかったのか」と言うものもいました。

私たちはここに信仰のシフト、変革、季節の変わる時を見ることができるのです。それは、よみがえりの時がやがておきるという遠い将来の時から、新しい季節を向かえ今からよみがえりが始められる時へと変わったということなのです。

イエス様は墓の洞穴にたてかけてあった石を取り除けなさいと命じられました。しかしマルタはこの変革のときを悟らずに「主よ、もう臭くなっておりましょう。四日になりますから」といいました。彼女はイエス様が言われた「信じるならば、神の栄光を見る」といわれたイエス様のことばを受け取ってはいませんでした。
これは私たちの固定観念や古い信仰観という石が取り除けられなければ主の栄光を見ることができないことを教えているのではないでしょうか?たとえクリスチャンでも人間的常識で神の業を限定してしまうならば私たちは決して神の奇跡を見ることはないでしょう。しかし、もし、私たちがあきらめてしまった事柄という石を取り除いて主に期待していくならば私たちは神の栄光を見るのです。

イエス様は人々が墓の石を取り除いてから父なる神に感謝の祈りをし、「ラザロよ、でてきなさい」と叫ばれました。すると死んでいたラザロが布をまきつけられたままでよみがえって墓から出てきたのです。

ここに大きな変革の時が主イエス様によって行われたのです。その変革のときにこそ主に応答するときなのです。神を信じるものが諦めてしまった墓の石を取り除き、預言的に大胆に宣言していく時に私たちは神の栄光を見るようになるのです。さあ、あなたがあきらめてしまったことについてそれらがよみがえることを信じるときです。私たちは大胆に預言的に宣言するときです。

復活の主イエスキリストの御名をほめたたえます。

               ハーベストタウンチャーチ
               牧師 加島千秋