I've got A New Way of Walking, Talking , Attitude, JESUS is Taking me Higher.
                  
 奇跡を願う者  「危機的状況の中で第四の人を見出し、主と共に治める」      2006 1 19

マタイ14:22〜33
 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ手、自分より先に向こう岸に行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。群衆を帰した後で、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだひとりでおられた。しかし、舟は、もう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、何に悩まされていた。すると夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いているのを見て、「あれは幽霊だ」と言っておびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい、わたしだ。恐れることはない。」と言われた。するとペテロが答えていった。「主よ。もしあなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。ところが、風を見て、怖くなり、沈みかけたので叫びだし、「主よ。お助けください。」と行った。そこでイエスは直ぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」そしてふたりが舟に移ると、風がやんだ。そして舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。

2006年の初めの聖会で講師のデイルマスト師は「今まで祈ったことのない祈りをするように。」と語られました。このような祈りを通して全知全能の神がおられることを人々が知るようになることを神は願っておられると言うのです。
 さて、ここで、マタイの14章のペテロの水上歩行にどのような意味があるのでしょうか?何故ペテロは水の上を歩いたのか?それに何の意味があるのでしょうか?イエス様はどんなこともできるお方です。聖書全体が神は奇跡を現し奇跡を与えられる神であると記されていると私は思わされました。

弟子たちは舟に乗って嵐に出会う体験を以前しています。(マタイ8:23〜27)しかし、今回はイエス様は舟に同乗されていませんでした。弟子たちの信仰の訓練のためにイエス様はこのことをなされました。風と波に翻弄されながら弟子たちは危機的状況にいたのです。そこにイエス様が水の上を歩いて舟に近寄られたときに弟子たちは恐怖のあまり叫び声をあげて「あれは幽霊だと」言ってしまいました。この時、弟子たちの信仰がイエス様に向けられていなければならなかったのにそうではなかったのは明白です。主は危機的状況の中で主に目を向けることをここで教えておられます。

 デイルマスト師はダニエルたちが燃える炉に投げ込まれると言うメッセージ(ダニエル3:25)の中で「危機的状況の中で第四の人を見出さなければならない。」と語られました。マスト師は「苦難の中で、以前はそこから抜け出すことを祈っていたけれども、そうではなくダニエル書にあるように、火の中に投げ込まれたときに第四の人であるイエス様を捜し求めることを第一としなければならない」というメッセージでした。
私たちは危機的状況の中で第四の人であるイエス様を見出さなくてはならないのです。

私はこのことを思い巡らせているとペテロの水上歩行の出来事が思い起こされてきたのです。
そうです。ペテロは危機的状況の中でイエス様を見出し、応答し始めました。「主よ。もしあなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」とイエス様に求めたのです。その求めはイエス様のように自分も水の上を歩くという奇跡を彼は求めたのです。するとイエス様は「来なさい。」と言われ、ペテロは水の上を歩く奇跡を体験し、危機的状況の中で主と共に治める(嵐と波を治める)という体験をするのです。

私たちも安全だと思っている舟(実は今にも転覆しそうな舟)から出て危機的状況の中で主と共に治める奇跡を見たいとは思いませんか?ペテロは危機的状況の中で主を見出し奇跡を体験しました。イエス様の目的は弟子たちに、神の国の原則を教え、訓練し、実際の危機的状況下で神を見出し、奇跡の神を信じる信仰を用いて、危機的状況の中で主と共に治めることを意図したものと私は感じています。
イエス様は弟子たちを教え、弟子たちがどのような対応をするか、見ておられるのです。弟子たちが、あなたがたがやったことのないことにチャレンジさせられるのです。

マタイ14:15〜21では5000人の給食の出来事が起こりました。イエス様は弟子たちに、「あなたがたで彼らに食べるものを与えるように」と命じられました。それは「あなたがたが食べるものを買ってきて与えなさい」と言うことではありませんでした。何もない、店もない状況下で数千人もの群衆に食べ物を今ここであなたがたがあたえるということを求められたのです。弟子たちは二匹の魚と五つのパンを探してきて主のもとに持ってきたときにイエス様はそれをすぐに祝福し5000人以上の人々が食べて残すほどになったのです。イエス様は今までになかったことを弟子たちにお命じになったのです。しかし、その前には神の国の原則を教えておられます。マタイ13:3〜8の種まきのたとえで神の国の原則は良い畑に蒔かれた種は100倍の実を結ぶと教えておられます。イエス様はこれらの教えから弟子たちに実践的な祈りを要求されています。いままでに弟子たちがしたことのないような事柄をさまざまな状況の中で求められました。

あの時、イエス様はパン工場もなく、魚もいないところで奇跡を現されました。人間的な可能性だけを求めていたら奇跡は見ることはできません。神の国の霊的原則によって、神には不可能なことはないと信じて祈りもとめるならば、私たちは奇跡を見るようになります。

今年、主が私たちに求めておられることは偉大な神を求め知ることです。人間的な常識の中でボートの中にとどまっていては、ペテロのように水の上く奇跡を体験することはありません。しかし、危機的状況の中で第四の人を見出し、奇跡を求めていくときに奇跡の神は応答されるのです。そして危機的状況の中で主と共に治めることを主は教えておられます。

今まで求めたことのない祈りに主は導いておられます。今年、あなたに偉大な神が奇跡を体験させてくださいますように祈ります。



                                    ハーベストタウンチャーチ
                                牧師 加島千秋