ハーベストタウンチャーチ 牧師 加島千秋の証
 
             

神の導き


 1981年私は6年間勤めた会社を辞職し,英語を学ぶために渡米した。当時クリスチャンであった私は、友人が通う南部バプテストの教会へ出席していたが、学校へ通うためにロスアンゼルスへ移りアルバイトをはじめ、そこで知り合った日本人に導かれ彼の通う教会の礼拝へ出席するようになる。そこには韓国のチョウ・ヨンギ牧師に日本語を教授された(チョー師の書、三拍子の祝福の訳者)在日韓国の老婦人伝道師が熱心なメッセージを語る教会でした。私は福音派の教会で育ち全く聖霊の働きについて無知でしたがその教会で初めて生きて働かれる神と出会ったのでした。異言とか聖霊のバプテスマについてはじめて知ったのは28歳で私の教会生活と信仰が変えられたのはこの時でした。

初めての徹夜祈祷

 祈ることをほとんどしてこなかった生ぬるいクリスチャンの私はこの教会で徹夜祈祷会を初めて経験した。3人の友人と伝道師の導きで初めての徹夜祈祷会を体験した。聖歌を歌い祈りを捧げる。しかし、祈りの訓練を受けていない私には眠気との戦いでした。実は熱心さとは裏腹に今までのいいかげんな自分の信仰が小さな疑問になっていましたので、自分の救いの確信を神様与えてくださいと祈ったのでした。徹夜祈祷が終わりすがすがしい朝を迎え、伝道師は私たちを祈祷院へ連れて行ってくれました。そこは何人もの韓国人がいて私たちを快く迎えてくださり朝のメッセージを聞くことができました。その祈祷院に一人の祈りの器がいて私たちのために祈ってくれるというのです。私が一番先に祈られたのですが、実はその祈りの器は預言者だったのです。しかもその預言者が言うには、なんと私たちがここの祈祷院に来ることを主があらかじめ教えておられたというのです。

イザヤ43章の言葉
先ず私に与えられた御言葉はイザヤ43章1節から13節まででした。その1節には「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」という ものでした。実は誰にも話さなかったのですが救いの確信に対して昨晩私は祈ったのですが明確に主は答えられたのです。その驚きの中に私は自分が救われていて主のものであり恐れる必要のないことが分かりました。また主に特別に愛されていることも聞かされました。そしてそれだけではなくその時に初めて主の働きのために自分には使命があることをその預言者の口から言われたのです。全く考えてもみなかったことなので、その時は「そうかな」と思いましたが確かに主が導いておられるのを感じました。私は、祈りに答えられる生きておられる神とその御心を伝える預言者に出会ったのです。この後に主は私をさらに導びかれたのです。

心配からの解放と召命
当時私は友人とアパートで生活を始めていました。新しい場所での祝福のためにある牧師先生が祈りに来られることになりました。私の友人はその牧師先生は怖いからと少し恐れて話しました。何でもその韓国の牧師先生が牧会する教会の神学校である神学生たちが地下室でマージャンをしていたときに、その牧師先生が学生が地下室でマージャンをしていると聖霊様に示されて学生たちは現場を発見されてしまったというのです。ですから友人はその牧師先生には何でもお見通しだから何も隠すことができないので怖いというのです。さてその牧師先生が私たちのアパートへ来られ祈りが始まりやがて個人個人への祈りのときとなりました。当時私は日本にいるクリスチャンの両親に自分が体験した神様のことを話したことで両親は私の信仰生活を心配していたのです。私はそのような心配をかけてしまったことが気がかりであったのですが、今度もその牧師先生は、神様が両親のことは心配しなくて良いと預言して下さったのです。私の心配はこのときに解放されました。もちろんその話は誰にも話したことはないのです。そして主が私を愛してくださっていることと私に神様が牧師として呼んでいること言われました。私はこのときから牧師として進むべきかどうかを考え祈りはじめました。

二人三人の証言によって
このような中で、さらに私は確信がほしくて当時家内が通っていたアメリカの教会に行きその教会の牧師先生に祈っていただきました。このようにして聖書にあるように私は二人または三人の証言によって主は確かに導かれ献身への道を開かれたのでした。30歳の時です。当時私の家内はパサデナの神学校に通っていましたがフラー神学校に在籍していた日本人に会うことができました。彼はかつて日本に使わされていたフラーの宣教学部の教授を教えてくださり将来を相談することができました。こうして日本の神学校に導かれ私は帰国することとなったのです。